菅谷李径先生インタビュー


2.書道の先生になられたきっかけは?

気に入らんことはあっても、やめようなんて、ぜんぜん思わなくなったのよ。
内野先生はよく世話してくださるし、習いに来てた岩井さんご夫婦と親しくなるし、白山さんはよくアドバイスしてくれて、ずうっとお付き合いをしてきたの。

けどもね、嫌で嫌でたまらんで。スランプっていうのあるんやね。
行きたくないんで休んでいたのよ。四五年か長いこと。そいでも、心の中は、いつでも屈託に思っておった。
妹が萩の寺の萩が今真っ盛りだというから、いっぺん行かないかっていうので二人で行ったの。萩は散りかかったところで、あまり人もいなくってのんびりして、じゃあ帰ろうと門を出ようと思ったら、向こうの方から王堂先生がね、杖をついていらっしゃるじゃないの。
わーって、私面目なくて、顔みられんでしょ。シャーっと逃げて塀の影に隠れたの。
そしたら、妹が「なにしてんの?」「王堂先生…」「あんたな、王堂先生と違うよ」「えー 」って出てみると、その人、白足袋はいているの。
王堂先生とまったく違うのよ。私は、王堂先生が散歩に来られたと思ったの。「あん時の、あんたの慌て具合。まあ、何を悪いことをしたのと思う。そんな風に自分が屈託に思っているもんだったら、なんで、王堂先生にそのことをきっちり言うて、やめるならやめる、やめないならまたお願いしますって、あんたなぜ言わないの」って妹に言われた。逃げ隠れせんならんほど、悪いことしている訳でもないのに、なにかとっても顔をあわせられないの。妹の言うこともそれもそうだなって思って王堂先生に手紙書いたの。かようしかじかで五年近くも休んでおって、今からでも、できますでしょうか。

すぐ返事が来て、すぐ先生になれっていうのよ。ブランクあるのに。

ほんでね、生徒募集のポスター送るからっておっしゃるから、ちょっと待ってください、そんなこと、今迄休んでいたのにできないから、ポスターいらないって言ったの。ポスターがいらなければ半紙にでも書道と書いてな、そこらの町のどっかにでも貼っておけと。
「四年休もうが、なんだろうが、そんなことこっちはかまわない。
やめなければいいんだ」と王堂先生は…。そこらが王堂先生だよねえ。

「教えることは習うことだと覚えておきなさい」って言われるの。

「なんぼお前さんが、四年休もうが五年休もうが、小学校の一年生に教えられないというような指導は私はしていないはず、子供だったら充分に教えられるからな。子ども向けにポスターを貼れ」と。
そう言われればそのようだなと半紙に書いて板塀に貼ったのよ。
そしたらその板塀に貼られた家のおくさんが、ペタペタ貼ってくれるなっていうの。そしたら、こっち側の奥さん、私のうちに貼りなさいっていうの。お向かいのマージャン屋の主人が来て、あのね、あそこに貼っていらっしゃるけど、私の所にも張ってくださいっていうの。ここはとっても縁起がよくて、うちに貼った人で繁盛しなかった人は一人もいないって言うの。いかんちゅう人もあれば、どうぞどうぞといってくださる方もあるのね。

腕は先生するほど達者でないので、人に教えならんと思ったら勉強せんならんでしょ。そしたら、みるのも詳しく見ることになるの。
そしたら書というものに非常に深い関心を持たずにいられなくなるのよ。自分も人を指導せんならんとなったらね。

 

3.教室点描 へ続く。