春秋探訪 第2


魚字雑感




                       西田 王堂



 古文の自由課題の手本を書く時は、規定課題を書く時より、大変楽しい。字数が少ないからではない。拘束されることが少ないためであろう。古籀彙編 (こちゅういへん) 十四巻を手に入れてからは、寝る時枕もとへ置くことにしている。腹ばいになって、一ぷくするのも楽しいが、手当たり次第に冊子をとって、終りからパラパラ開いていく楽しみは何とも言えない。

 子どもが漫画を耽読するのとあまり変わらない。「宝」とか 「尊」とか言う字が出てくると、あまり字数が多いので、何種類あるだろうかと一つ二つと数えているうちに寝てしまうので、三百何十種類あったのか、今に明確な字数を知らないのである。

 古文はその時代、その地域、その人によって、筆画や形体を異にするものであるが、古籀彙編は実にうまくまとめあげている。私はこの辞書を繰るたびに中国人のねばりと偉さに驚くのである。

 魚字の頁を次にぬき書きしてみた。なる程、彙編の説明にあるように燕の尾のようにどれも二つにわれている。うろこの省略はあっても、ひれは必ずついている。うなぎのようにひれやうろこのめだたないものは魚字としてあげていない。尾びれの三つあるのが見えないのは、三、四千年前には、金魚はいなかったのであろう。絵に画く魚は、つるした魚でない以上、大抵横に画くのが普通である。馬、虎、魚等、運動の方向に横に書けば頗る象形的であるのに、みな縦に書いてある。文字の原始時代といわれる殷代に於て、すでに文章は上から下へ、行は右から左へ書くことが、約束づけられた。東洋人の宿命である。四百余州といわれる中国であるから海の魚もいたであろう。然しここに揚げた魚字の一群は、どうも淡水魚のように思えてしかたがない。私は川魚が好きで、冬が来ると、モロコで一ぱい傾けるが、岩壁をこついたモロコは口の先がかたくてだめだ。殷の文化は黄河流域にあったのだから、そこらあたりには岸壁は少ないはずだのにどうしたことか。生半可な指導者のように、命は惜しいが口先だけがベラボーにかたい魚族もいたのだろう。いずれ渡りものである。

 近頃、役人の中にも、何も知っていないくせに、あたかも秦の始皇帝のように国字を変革しようとたくらむ輩がいるらしい。また文字を横書きにしてしまいたい、けっぺき患者もいるらしい。なまかじりの知識が一番おそろしい。


    


(昭和34年書勢4月号掲載・平成1年3月会報春秋会第8号掲載)

 

古籀彙編彙  ( こちゅういへん )





―古籀彙編彙をひもといてみれば―

『馬の字』の説明です。


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それはなんという名前の動物でしょうか。


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