王獻之は王羲之の七男である。三四四年に生まれ、四十五歳で没した。
父の羲之と並称されて二王といい、父を大王、獻之を小王ともいう。
獻之は若いころから盛名を負い、一人娘は晋の安帝の皇后となった。
中秋帖は 27.8 × 11.9 p。北京故宮博物院に現蔵する。
かつて乾隆帝が王羲之の快雪時晴帖、王cの伯遠帖とともに、宝愛した。
しかし、臨本だといわれている。書風は一筆草書の例としてよく挙げられているが、
十二月帖より文言を省いて書き抜いたもので、文意が通じない。