この碑は、後漢の中平二年(一八五)に作られた。碑主は曹全。
曹氏は敦煌の漢人豪族の一つで、累代、相当の高位についている。
曹全は幼くして父を亡くしたが、学問を好み孝心に篤く、郷人は
その善行をたたえ「曹景完」と字 ( あざな ) したという。曹全の属官
たちがその功業を称え建碑しようとしたが、政局の大転換で失脚し、
碑陰に名を連ねた人たちが、累の身に及ぶことをおそれ、
証拠品となるこの碑を、建てることなく土中に埋めてしまった、と推論されている。
「曹全碑」は「礼器碑」と並ぶ「 八分隷 ( はつぶんれい ) 」の典型と称されている。
(「中国法書ガイド八 曹全碑 後漢」二玄社)より引用