「 九成宮醴泉銘 (きゅうせいきゅうれいせんめい)




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秘書監・検校侍中・鉅鹿郡公・臣魏徴、勅を奉じて撰文す。

そもそも貞観六年(六三二)の初夏四月、皇帝は九成宮に避暑なされた。

これはつまり隋の仁寿宮である。そのありさま、山の頂に宮殿を高く構え、

谷を堰きとめて池を作り、水を跨いで橋をかけ、岩山を分けて宮門を聳やかす。

高閣はめぐりたち、長廊は四方に走り、様々な建物がはるかに続き、

高殿が高低入り乱れて建つ。仰ぎ見れば、その高く聳えるさまは百尋ばかり、

見おろせば深くはるかなことは千仞もあるほど。

真珠や壁玉が照り映え、金と碧が輝きを競うかのようであり、

雲霞を灼けつくように照らし、日月をも蔽い隠さんばかりである。