東晋王羲之の文および書として、集王聖教序とともに行書の神品されている。
王羲之は永和九年会稽山陰の蘭亭で曲水流觴の宴を催し、
その叙をつくり、鼠鬚筆をもって蠶絹紙に書いた。
その後も蘭亭叙を数十百本も書いたがそのとき書いた以上のものはできなかったと伝えられている。
唐の太宗は王羲之の書を酷愛し、天下に号令してその書を集め、
蘭亭叙は術策を弄し詐取せしめたという逸話が名高い。
この書の真蹟は太宗の遺言によって陪葬された。
したがって、生前太宗が搨模(とうも)させたもの、
王陽詢・?遂良の臨本が後世に伝えられている。